日本における歴史

日本においてシーメンスは、1887年にヘルマン・ケスラーが東京・築地に日本で最初のシーメンス事務所を開設して以来、130年を超える年月にわたり事業を展開しています。

1847年(弘化4年)

シーメンスの歴史を振り返ること ― それは、160年以上もの長きにわたり世界の産業発展に貢献してきた歴史を振り返ることでもあります。1847年、ヴェルナー・シーメンスがシーメンスの前身、シーメンス・ウント・ハルスケ電信機製造会社をベルリンに設立しました。ベルリンで誕生した小さな町工場は、今や190カ国に拠点を構えるグローバル企業となりました。1848年ヨーロッパ初となる、ベルリン-フランクフルト間500kmの長距離電信線を敷設しました。

1861年

1961年日独友好通商条約締結の際、プロイセンの東方亜細亜遠征隊が江戸幕府にシーメンス製の電磁式指針電信機を献納しました。1888年には、足尾銅山にシーメンス製発電機を納入し、1889年には、日本初の水力発電設備を渡良瀬川に設置しました。

1887年

ヘルマン・ケスラーが来日し、8月1日東京・築地に日本で最初のシーメンス事務所を開設しました。1896年には、東京都京橋区築地入舟7丁目48番地にシーメンス ウント ハルスケ日本支社を創立してシーメンス全般の事業遂行を開始しました。1869年にシーメンス・ウント・ハルスケ日本支社が設立されました。1901年、日本におけるシーメンスグループの集中化に伴い、シーメンス・ウント・ハルスケ株式会社がとして登記されました。1905日本法人シーメンス・シュッケルト電気株式会社を設立しました。

1898年

1888年足尾銅山にシーメンス製発電機を納入されました。1889年日本初の水力発電設備を渡良瀬川に設置し、1898年東京帝国大学ならびに陸軍軍医学校に日本で最初のレントゲン装置(シーメンス・ウント・ハルスケ社製X線装置)を納入しました。1902年には、江ノ電の開通に貢献しました。1904年には、長野県宮城第一発電所にシーメンス製水力発電機を納入しました。1910年には、八幡製鉄所に低周波誘導電炉を供給しました。1923年日本における最初の日独提携事業として、古河・シーメンスにより富士電機製造株式会社を創設しました。(1984年、富士電機株式会社に改称)1925年には、日本で最初の局用自動電話交換機を横浜の本局および長者町局に納入しました。この交換設備は1952年まで稼働していました。1935年富士電機製造の電話部および通信器関連の事業を継承し、富士通信機製造株式会社を創立(1967年、富士通株式会社に改称)しました。1945年シーメンス・シュッケルト電気から社名を変更し、日本シーメンス電気株式会社となりましたが、8月15日連合軍により資産凍結、商取引は停止となりました。

1994

第二次世界大戦を経て1947年に事業を再開、1970年に日本シーメンス株式会社とし、1979年にシーメンス株式会社に社名を変更しました。1982年中部電力長良川水力発電所で70年以上も稼動したシーメンス製水車に、日独友好の証として記念碑が贈られました。1984年には、東京大学医学部付属病院 日本における超伝導MRI一号機マグネトムが導入されました。1988年に独シーメンスと旭化成工業(現旭化成)、日本での医療機器の開発・製造・販売・アフターサービスの合弁事業として、シーメンス旭メディテック株式会社が設立されました。
1994年五反田の高輪パークタワーに本社を移転しました。2007年にUGS PLMソリューションズ株式会社を買収しました。2010年シーメンス株式会社、シーメンス旭メディテック株式会社の全株式を取得し100 %子会社とし、シーメンス・ジャパン株式会社に社名変更しました。2011年シーメンス・ジャパン、CdTe放射線半導体検出器の開発製造を柱とする株式会社アクロラドの株式を過半数取得しました。2012年シーメンス・ジャパン本社と一部国内グループ会社の本社を東京・品川区大崎に移転しました。